映画「ラフマニノフ・ある愛の調べ」

この副題ちょっと恥ずかしいよね…タイトルといい、広告の仕方といい完全にターゲット:女性って感じだ…。彼は女性に人気があったらしいから間違ってないかもしれないけど、音楽性とはあんまり関係ないと思うのに。
以下、全体的にネタバレ感想です。


少年時代の回想場面に出てくる小川や森や花の咲く野原がすごく美しくて、大きな画面で見てよかったなぁと思いました。セルゲイ(ラフマニノフ)、憂いと陰のある表情が上手かったし顔立ちも似ていた…(笑)。軽やかな動きとあの顔立ちで、彼が女性を惹きつける人だったというのに納得できる俳優だった。

全体を通してみるとそうでもないのに、「ちょ、色ボケ…!」と思うところがあって(笑)でも芸術家にとって強く感情を揺さぶられるものがあるというのは何より大事なことなんだろうと納得してみたり。恋愛と宗教は遠い昔から芸術家の創作意欲を最も刺激するものだったと思うし、誰かを強く愛することで美しい音楽が湧いてくるのなら、それは必要だし大切だろうなと。どんな経験も引き出しに、身になるしどう役立つか分からない。逆に経験のないことが良い効果を生むこともあるけれど…(って結局どうなの)。他の大勢と違う何かができる人は、それだけ奔放なことも必要なのかなと。
祖国の政治背景、そして亡命など、この頃の世界の情勢が分かるのも興味深かった。映画ではセルゲイ本人にその点に関して彼の音楽そのものへの影響はあまり描かれていなかったけど、不安定な世界情勢の中で揺れる祖国に思いを馳せて曲を捧げた音楽家もたくさんいたことを思い出しました。

過去を現在を行ったりきたりする感じで話が進むのはそこまで混乱しない作りにはなっていたけど、過去でも現在でも苦悩している彼は結局作曲ができるようになったのか?というのが映画の中では解決されていないのでは。ラフマニノフが最初の交響曲を酷評され、自信を失って神経衰弱に陥り、その後精神病の医師による暗示療法によって回復して4年後にあのピアノ協奏曲第2番を書き上げることができたというのは有名な話だと思うのだけど、それはこの映画のどのへんに当たるエピソードだったのだろうか?後に妻になる幼馴染の従姉妹の婚約者だったドクターだとしたら、彼がその後10年もまともに作曲をしていないと言っているのはなぜ?冒頭の米国コンサートツアーのシーンでは2番を演っているんですよね…。彼自身に詳しい人ならもっと映画と同じ流れで楽しめたのかもしれないと思うのですが、私はこの年代をすぐに思い出せなかったので、画面に年代が表示されてもすぐに彼の年表と一致せず、↑のように困惑。

音楽の使い方もあまり効果的とは思えなかった。あまり映像とリンクしなかったり印象に残らない使われ方をしていて、せっかくのラフマニノフでせっかくの広い場所、音響で聴けるのにもったいないと思った。効果的に入ってきて感動できたのは冒頭の第2番と最後に「ミセス・ナターシャ」でライラックに顔を寄せて微笑んだ瞬間にパガニーニが流れたところくらい。でも最後のはよかったな…この人も、出ている2時間の間ほとんどが陰のある表情だから笑顔を見るとものすごく感動してしまうんですね…(笑)。最後の笑顔は本当に幸せそうで、しかもそこで一気に広がるパガニーニ。うるっときた。

ラフマニノフをずっと見ていたのにラフマニノフの音楽不足で欲求不満になって、帰ってCDで心行くまで堪能したくなるという利点はあるのかも(笑)会場で彼のCDは売れたかもなぁと思った。でもサントラはどうかなぁ…見る人はそれぞれ自分の好きな彼の曲があるのに使われなかったり効果的に流れなかったりしてたのではと思ったので。私は帰って、作品内で聴けなかったビアノ交響曲の3番を聴いたし…(笑)。すごく好きなんです。