10日番宣「琴線感覚」

  • 「これまでは自分に一度取り込んで、自分の目線で理解してから演じてきた」
  • 「今回の役は自分の上にカバーを一枚かけてその上で芝居をすることができた。役を客観的にとらえるということをした」
  • 「普段使わないような言葉や表現のある台本、役をどう自然に演じるか、を考えて、」
  • 「今までは自分の目線(主観)で考えて感じて理解してきたことを、自分をなくして雫(役柄)の目線で見られるようになった」

神の雫」第一話を見た時、それまで自分が持っていた亀梨くんの演技へのイメージとの違いにちょっと愕然としてしまって、どう感想をしたためたらいいのかわかりませんでした。最初の、雫の無色透明さと現実感のない存在の浮遊感が、それまでの画面を牽引するような亀梨くんの演技の雰囲気を念頭に置いていた私にはあまりにもなんていうか…「受け入れて理解しないといけない」ものとして映ったので、今までの彼の演技と彼の演じる役にあった問答無用でぐいぐい迫ってくるようなあの存在感はどうしてしまったんだろう…?と思わせたのです。私は最初に見た亀梨くんの演技にすごく引きつけられたので、たぶん何か勝手に期待していたものがあるんだと思います。そして雫はその予測の範疇にないものを表現していたんですね。それでも当時自分なりに色々書いてみたのですが、web上に載せて後で見ても自分で納得できる内容と思うことができず。全部(仮定?)がつきそうな文章になってしまって、結局リアルタイムで感想をあげることができなかったのですが、ドラマのレビューをしているブログを巡っている中で田辺さんファンの方が書かれていた、ドラマと亀梨くん(亀梨くんの演技を見るのはこのドラマがほぼ初めて、とのことです)の演技への感想にすごく納得できるような気がして、以来そうかそういう見方があるのか、そういう風に楽しめばいいんだ、と思うようになったのでした。今回の「琴線感覚」ではまさにその裏付けとなるようなコメントを亀梨くん自身が口にしていてすごくすとんと胸に落ちました。
最後にこのドラマの最後の展開について彼が言っていた、「父から与えられた扉はもうないわけだから」という言葉が良いなと思います。だからこれから雫という人間と、一青という人がどうしていくのかに興味が持てるなぁと。